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Ars Electronica Festival 2018: ERROR - The Art of Imperfection [ars electronica]

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エラー:不完全性のアート

正しさや基準から逸脱した状態「エラー」。

あるエラーは失敗と呼ばれ、あるエラーは前代未聞のアイデアとして祝福され、あるエラーは意図的におこされ、あるエラーは意図せず起きる。 エラーとは期待に見合わないこと、習慣からの逸脱である。だが、習慣とはいつ生み出されたのか?エラーは常に間違いであるわけではない、機会でもある。
けれども、私たちはエラーに対する寛容性を、どれほどもてばいいのだろう?イノベーションの原動力となるような力を生み出すために必要な余裕や自由を十分に持てているのだろうか?あるいは、恐怖とポピュリストのレトリックに惑わされることを許してしまうのだろうか?

昨今の世情を見ていると21世紀とデジタル革命はどこかで大きな間違いを犯してしまったのではないか、と感じてしまう。

何百万人もの人が自分のデータとプライバシーに関する主権を奪われたと感じ、欺瞞と偽造が日々の生活の現実となり、世論と世論の形成プロセスに強く影響を与えている。そして、凄まじい開発ダイナミクスのあとに残るのは、取り残されることへの不安だけだ。美しいデジタル世界を願うことは間違いだったのか?私たちは未来をどうやって救えるのだろうか?

現代に生きる私たちは、完璧主義と、技術への揺るぎない信仰を強要されている。最適化・効率化・生産性向上を進め、デジタル技術とソーシャ ルメディアが差し出してくる選択肢を指先で愉しむため、私たちに消費を促す機械に自分の身を委ねる。
ビッグデータによる監視は、慣習から逸脱した行為を検出する。近い将来、社会的スコアリングシステムが発達することで、我々を社会的規範 や基準に適合させていくとも言われている。技術が完成に近づくごとに、 私たちの生活は、より効率的に、よりタイトになっていく。適合できない人は、切り捨てられていく。

しかし、この切り捨てられる不完全性にこそ、 大いなる可能性が眠っている。

私たちは最適化を目標にすべきではない。なぜなら、最適化は単に現時点で我々が考えることができる、そして考えなければならないことに対 する、最良のアプローチでしかないからだ。最適化は、予期せぬことのための余地を残さず、望ましくない認識を修正し、より良いアイデアのための新たな道筋を閉ざす。

寛容性や創造性は、私たちが未来を生きる上で最も大事なスキルかもしれない。

ホモ・サピエンス最初の祖先が登場するまで、生き物は何度遺伝子配列のエラーを起こしてきただろう?いまの世界を手に入れるまで、ホモ・ サピエンスは幾度のエラーを経てきただろう?「普通」の人だけの世界であったなら、人類のひらめきや経験はなんと乏しかったことだろう? 異端児たち、逸脱した思想家たち、色の異なる人々、異なる信念をもつ人々がいなければ?
「間違いを犯すのが人間だ」という。これこそが技術や機械によって完璧に機能する世界に自らをかき消してしまうことを恐れながら、尚も科学技術を通じて完璧な世界を求めてしまう所以なのだろうか?
未来をつくる原動力である「技術」との相矛盾した関係を、どのように再考できるだろう?そして、どのようなエラーを繰り返さないことが大事なのだろう?
ソーシャル・インテリジェンスを求める声が、デジタル世界と人工知能への熱狂に併走し始めた。私たちは不完全性を受け入れる勇気を伝える。 それこそが機械と我々を分ける最後のものかもしれないのだからである。





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